最後の火

母方の田舎へ…。
死者の霊を弔うのが盆なのだろう。
再び聊斎志異を思い出す…。
f:id:kishan:20080815200500j:image

或る家庭で夫が死んだ未亡人があまりに生き返って欲しい為に仙人に生き返らしてもらうために相談に行く。
仙人は町をふらつく乞食が本当は生き返らす超能力を持った仙人だと告げる。
その未亡人は日ごろから町をうろつくその浮浪者を知っていたのでその乞食に死者を生き返らす為に赴く。
「私の夫を生き返らせてください」と頼む未亡人に対して「死んだ者はそのままにしておくのが自然の摂理なのだからほっとくのだ」と言う
尚も食い下がる未亡人に対して痰を吐きつける乞食。仙人からはその乞食の言う事に反論せずに虚心坦懐に全てを聞いて受け入れるのだといわれていたので。乞食からその痰を飲み干せと言われ気持ち悪いながらもその痰を飲むが何もおこらない…。
 家に帰ると夫は尚も死んだままだったが飲み込んだ痰が胸からせり出してきて夫の胸にするりと入り込むと。次の日には夫は生き返っていたという…。
死者は死んだままにしておくのが適当だろうが、老衰でなく未練を残したままに死んだ者を生き返らす事は古来から試みられてきた。
それが不可能だとは思っても人の脳内では生き生きと生きる様も可能ならば…。
 銀河鉄道999の機械人間のように交換すれば永遠に近く生きられる術を人は手に入れる時が来るのであろうか?