俺は死ぬまで映画を観るぞ

永遠の待機『スカイ・クロラ

 今日の日本のアニメで人気を二分している宮崎駿押井守は、その主題とスタイルにおいて対照的な存在である。宮崎を捉えているのは、疲れきった世界にいかに再生をもたらすかという問題だ。彼の原点にあるのは自然と人間が調和を保っていた時代へのノスタルジアであり、多くの主人公の行動は共同体への自己犠牲という形をとる。
 逆に押井は、すでに終末を迎え廃墟と化した世界に拘泥する。もはや時間には始めも終わりもなくなってしまった。唯一なすべきなのは、世界に対し希望を抱くことの虚妄を告発することだけだ。押井の作品のなかで時間がいつまでも高校の学園祭の前夜で停止し、無限に同じ一日が繰り返されたり、東京が高層ビルを前にした瓦礫の山と化しているのはそのためである。主人公たちはこの状況を突破し真の自己を回復するため孤独な行動にでるが、それが成功する保証はどこにもない。                  p374

ノスタルジアの彼方に待っているものは何なのだろうか…
壊れた世界から脱出したとして止まった世界で物語は可能だろうか…
止まった無限の世界に希望はあるのだろうか…

俺は死ぬまで映画を観るぞ

俺は死ぬまで映画を観るぞ