澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド

 人類が地上に出現したのが、かりに今から二百万年前だとしても、三葉虫が地上に覇を唱えていた古生代は三億年もの長期に及ぶから、それにくらべれば、人類の歴史なんか、吹けば飛ぶようなものであろう。

吹けば飛ぶような人類の歴史なら一個人の一生は一刹那に等しいだろう。

 わたしは、もし生まれ変わることができるものならば、できるだけ下等な動物に生まれ変わりたいとつねづね考えている。進化の階段を逆に下降して、軟体動物や腔腸動物のような美しい単純性に回帰することができたら、どんなに幸福であろうかと思う。深海の底に根をはやし、潮の流れにゆらゆら揺れながら、太古の時間をそのままに生きているウミユリとか、ウミリンゴ(古生代デボン紀に絶滅した)とかいった動物こそ、わたしの理想の生命の形体なのだ。
 ジャン・ジュネという作家は、藻のような下等な植物になりたいとか、アリゲーターのような懶惰な動物に生まれ変わりたいとか言っているが、彼の気持ちは、わたしにはじつによく理解できる。人間は、理知とか感覚とかを一つ一つ切り捨てて行って、生命の根源、存在の本質に近づくのが本当ではないかと思う。フロイトの「死の本能」説というのも、要するに、有機的生命が無機物に還ることをあこがれる、退行の傾向をさしたものであった。
 しかし、エーリッヒ・フロムのような心理学者にいわせると、こうした死の本能に惑溺することが、とりも直さず、現代に特有な悪だということになる。そうだとすると、わたしのように冷たい貝殻が好きだったり、太古のウミユリのような下等動物になりたいなどと、途方もない詩的夢想にとりつかれている男も、やっぱり悪に魅せられた人間なのだろうか。単純な生命は、それだけ死に近いのだろうか。わたしには、有機体は単純なほどエネルギーにみちているようにも思われる。

単純性とは違うのだろうが、睡眠或いは睡眠欲というのが無意識のうちの下等生物への変化希求と近いだろうか…


澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド (集英社新書ヴィジュアル版)

澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド (集英社新書ヴィジュアル版)


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