淡い光

 スモッグの間を通り抜ける光りがやがて枯れ野の眩いばかりの紅葉の上をきらびやかに走っていた。落葉の表の色は美しく光り、のどかさと裏腹にその裏は蠢く狡猾たる蟲達の住処と化していた。
 光と闇は対立するものでは無く一体であると感じる瞬間がある。その一体と感じる或到達点は紛れも無く私達の命の一部であると確信する瞬間でもあった。
 ここ、熱帯の庭には様々な奇妙な植物や蟲や動物が住んでいる…。ラフレシアや食虫植物…蘭、毒蛙、蛾、巨大揚羽蝶、青い蜜柑、ココ椰子、樹齢万年の巨木、蜷局を巻く土地蛇、カメレオン、踊るヤモリ、手長猿、オランウータン。
 そう、ここでは生き物は全てその自身の王国を形成している。他に脅かされる滅びと背中合わせのそれぞれの王国を…。
 閑話休題、ここでは植物に絞ろう。華というのは植物の性器であり、その性器を愛でるというのは、違う立場から見ると全く人間の趣味の悪さ悪趣味の極みの象徴でもある。と書いたのは澁澤龍彦であったか?
 銀河鉄道999の機械伯爵のように美しい人間の剥製を収集するかのごとく、人間の性器を美しいものとして、愛でる立場の生物が現れて、性器の或到達点すらも美しいと思う事はその生物の当然のなりゆきかもしれぬ。しかしまた人間を食物と見る生物も現れないとは言い切れまい。まるで、ラグクラフトの書く世界の様に………。そこでは、人間であれ愛でられる者と食われる者、オモチャのように遊ばれる者とそれぞれ分別されるのであろうか?