病んでゆく最中

 人々は病んでゆく。それは必然だ。仏陀は生老病死を目の当たりにして、そこから解脱の道を探ろうとした。

 根本的な職業はその病んでいく最中にどれだけの癒しを与えれるかどうかだろう、と思った…。
 医者はその人の病んだ部分、眼科は目を、外科は肉体の内部を、耳鼻科は文字どおり耳鼻を…。肛門科、歯科、手にする給料は多いかもしれないが、それらいわば汚く汚れた病んだ部分を癒すのが主だ…。
 他の職業もしかり!マッサージ屋は日頃の事務や営業の疲れを癒し、コックやパティシエ(ール)は舌を癒し、マリアッチは歌で人を癒し、マタドールは牛との死闘の熱狂において癒し、フラメンコ踊りはその肉体的全身表現や指導においてレクレーション的安らぎを与え、娼婦は男性自身を苦しみから解き放つのだ。それは、人が忌み嫌うほど崇高であるとさえ言える。確かに私の今の職業の金融も金銭に病んだ人々のカウンセリングに他ならない…と或意味ではそう思う…。