人間の土地と生活

上の息子の私立高校の説明会へと向かう。凱風が漂って、私の鼻腔をくすぐらせる。残暑の合間の秋の気配だった。たまに乗る高野線だが北野田へ向かうのに、間違って泉北へと向かってしまった。上の息子と電車に乗るのは何年振りだろか。今はない岬公園にはよく行ったのだが、今でも私の中では息子はあの時の面影をいつまでも残している。親はいつまでも子供の事を思うというのは、思春期になる前の小さい時の記憶が鮮明に焼き付いているからだろうと思った。

息子のすね毛が足から出てるのを眺めて時代の流れを感じていた。

間違って乗った泉北の車窓からは普段は自動車で移動して景色なんて楽しむことのない日常から電車の車窓の旅へと私の心を誘った。

車窓からは学校が見え、池が見え、密集した家々ご見える。以前川崎のグラウンドへ野球をしに行った時密集してる膨大な数の人間の家々がまるで人間の巣に感じられたのを思い出していた。その時の感情に近い感慨が浮かんでいた。

そうここは人間の土地でその他のものは駆逐される土地であると…。

北野田からはスクールバスが出ていてそれで高校へと向かった。バスからはクラブが終わって駅へと歩いて向かう男子高校生の集団がちらほら見える。高校へ着くと私立学校の雰囲気が懐かしく私を郷愁へと誘う。

なんなら今更だか私も高校受験したいくらいだと思った。