フランスにて

フランスにいた。

なぜかフランスの結婚式に何故か招かれていた。

白ワインを頼んだらワインにはハーブのエッセンスがあるのでそれをチョイスするように言われた。色々あるハーブの中からブロートというハーブを選んで店員に伝えた。

結婚式がなかなか始まらないので、店をぐるっと回るとポストカードが売られていたがフラン表記だった。まだフランが使えるのかと驚いた。

そういや、私はユーロになってからフランスへ行った事がなかったことに気づいた…。

 

アテロームの奇跡

今日は昼で仕事を終えクリニックへと向かう。

粉瘤あるいはアテロームと診断されて手術となった。昼なのに高速は混んでいるので、気ははやる。

手術はだいたい他のネットの説明あるいは口コミでは、だいたい30分あれば終わる簡単なもので、軽ければ10分くらいと書いてあったので気分は少し楽だった。

最初に看護婦さんの説明で局所麻酔の注射ははっきり言って痛いですがその後は痛みはましなので、注射の痛みは我慢してくださいね。と美人な看護師さんに言われた私は、はいと即答していた。まあ、注射くらい我慢してやるかの気分だった。

だが始まってから先生が皮膚を切ると。

あぁと呻いた。

炎症が広がっているな。と呟いたのを私は聞き漏らさなかった。

麻酔はチクっと痛いのは我慢出来たが、時折麻酔の効いていない場所を切る時にはさすがに痛みに強い私も泣きそうになった…いや泣いていた。

医療器具とはいえ、メスで肉片を斬られてるのだから痛く無いはずが無かった私個人の感想としては。歯医者と同じくらいの激痛だった。

結果的に都合1時間半かかった手術は奇跡的に成功した。

それは良かったのだが、手術途中は思ってたより長すぎるので不安が頭を横切らなかったと言えば嘘になる。

途中この先生はドSで身体を切り刻むのが好きでちょうどストレスを発散するのに私の体が最適な検体として来たのをいいことに弄んでるのではと疑念にかられたり。

また、屈強な男に犯されるのはこんな気持ちかなと一人で壁を見ながら終わるのを待つ受動態の気持ちにもなった。

やっと終わって先生が切り取ったのを見ますか?と聞いてきたので、私は迷わず、見ますと言った。これだけは先生から聞かれなくても、見せてもらいますか?と命令形で指示しようかと思っていたくらいだ。

その肉片の周辺は黒く炎症しており。その様相は、まずそうなハラミ一人前くらいだった。

焼肉屋に来たのかと間違える感覚だった。

どちらにせよ牛肉は補給しないとなと思った。

他の肉で無くて牛肉を激しく希求した理由はわからないが、夕食は私の苦手な魚の味醂干しに大根の煮たのだった。

私に精をつけさせたく無いのか、気を遣って優しい日本食にしたのかは不明だった…。

 

フランス語を話すスイス人

実家に帰る際に、駅の近くに売り出してある物件を一目見ようと思い、向かった。

その物件は面してる道路がなく、そのため値段は安く設定されているみたいであった。

アパート自体は小綺麗な感じであったし、壁も最近塗られてあったが壁の端には亀裂が見受けられた。

アパートの前には新築の家があり隣は公園であった。道路に面していない物件はなかなか難しいなと思いながら、電車で実家に向かおうとしたがちょうどギリギリ電車が出たところであった。

仕方なくバスで実家へと向かう。

和歌浦行きのバスがちょうど来たので、運転手に手平へと行くか聞いたがぶっきらぼうに、不機嫌にこれは行かないよと運転手は言った。

バス運転手不足は運転手にも不幸を投げかけているのだなと直感した。

手平へと向かうバスが来て乗ると外国人のカップルが乗り込んできた。話してるのを聞くとどうやらフランス語であった。

一応元気?とさりげなく言ってみるがカップルの彼女の方は怪訝な面持ちであった。

まあ、そりゃそうだろう異国の片田舎でフランス語で話しかけられるとはつゆほど思わないだろう。

彼が俺の携帯どこにあったっけ?と彼女に聞いていたので。

私はついフランス語を話すのですね。

と彼らに聞くと、ええでもスイス出身ですよと答えた。

なるほどと私は一応理解したが、私がフランスのパリに留学した時にはフランス語を話せないスイス人の生徒が多かったので、スイスの事情に詳しく無い私は理解するのには時間がかかった。

まあ、スイスではドイツに近い地域はドイツ語を主流に話してフランス語はそんなに話せないのだろうし、その逆もまたそうなのであろう。

 

カップルの男性はあまり話しない感じだったが、彼女は私に色々と聞いてきた。

旅行で日本に来たのですか?と聞くと

彼女は、ええ、尾道から京都奈良和歌山、そして東京へと行くのよ、日本は初めてよ。と言った。

日本は今だいぶ物価安いですか?と聞くと

ええそうね、と彼らは同時にに答えた。

新聞やメディアでは、円安が言われているが庶民レベル?でもやはりそうなんだなと思った。

昔、フランス語を勉強していた時、フランス人の先生から和歌山には何がおるのですか?と問われ。考えたあげく、何も無いと言ったが現在では高野山や熊野があると胸を張って言えるまでになった感はある。

私は需要があるなら、この機会に祖父母が暮らしていた古民家を改修して、滞在施設へと変貌させようかとも考えた…。

 

 

 

約束された地

パレスチナイスラエルで戦争が始まった。

愕然的貧困や驚愕的戦争を知らない私たち世代は、ウクライナとロシア戦争から始まった局地的第三次世界大戦にどう向き合えばよいのだろうか?日々平和で安穏としている私たち日本国民は、まあ特に日本だけをことさら卑下することも無いのだか、日本に生まれた日本国民である私は遠くの虐殺や人の大量の死をただ数字だけで追っているだけた、守られた平和な日々で…。

やがて、南米縦断を私の人生の最後の試みと考えてはいたが、この殺伐としてきた世界情勢の中で、安穏と旅行する私は、果たして正義と言えるのだろうかと自問を続けた…。

燃えた家

実家の家が燃えている写真がメールで届いた。

どうやら照明の電気から火が出た様子だった。

母に電話すると普通に電話に出た。無事を確認しほっとしたら、私の部屋の本が気になって聞くと二階の私の部屋の本は無事だったとの事だった。

カラオケと後頭部の傷

カポエイラの師匠と先輩と3人でカラオケに行った。1番に曲を入れたが映像ばっかりで歌が始まらない。諦めて先に先輩に曲を入れてもらう。その間に後頭部のハゲが見つかり師匠に「これどうしたんだ?ケンカか?」と聞かれたがいや転んで打ったのですととっさに嘘をついた。